プレスリリース

スーパーコンピュータがとらえたクォーク6個からなる粒子「H-ダイバリオン」

プレスリリース

2011年4月21日
学校法人日本大学
国立大学法人筑波大学

印刷用PDF[288KB]

概要

ポイント

・30年以上にわたり存在が確認できなかったクォーク6個からなる粒子「H-ダイバリオン」が、スーパーコンピュータを用いた大規模シミュレーションにより捉えられました。

・H-ダイバリオンの解明をきっかけに、天然には存在しない原子核の研究が進展すると期待されます。

・中性子星の内部構造や超新星爆発など宇宙の物理現象に関する新たな知見の獲得にもつながります。

概要

日本大学生物資源科学部の井上貴史助教、筑波大学計算科学研究センターの青木慎也教授、石井理修准教授、東京大学大学院理学系研究科の初田哲男教授をはじめとする研究グループ(HAL QCD Collaboration)は、クォーク6つからなる粒子「H-ダイバリオン」の解明への端緒を開きました。この成果は、筑波大学計算科学センターのスーパーコンピュータT2K-Tsukubaを用いた大規模数値シミュレーションによるものです。

H-ダイバリオンは、1977年にロバート・ヤッフェ博士により存在を予言された粒子です。ところが、長年の理論的研究や粒子加速器を用いた実験的探査にも関わらず、現在に至るまでその存在は確認できていません。H-ダイバリオンはクォーク6つがコンパクトにまとまった粒子で、通常の原子核とは全く異なった性質を持ちます。

研究グループは、クォークの基礎理論である量子色力学(QCD)を大規模数値シミュレーションで解く「格子QCD」という手法に、計算上の様々な困難を打破する独自の工夫を加えて、SU(3)極限とよばれる理想的状況におけるH-ダイバリオンの質量や空間的大きさなどを明らかにしました。

今回の研究は、H-ダイバリオンだけでなく、粒子加速器でしか作れないストレンジクォークやチャームクォークを含む新しい原子核の研究にもつながります。それらは、中性子星の内部構造や超新星爆発を理解する鍵となるだけでなく、茨城県東海村で稼働を始めた大強度陽子加速器施設J-PARC における実験的研究とも密接に関係しています。

この研究成果は、米国物理学会の『フィジカル・レビュー・レター』誌2011 年4月22日号およびオンライン版(4月20日更新)に掲載されます。また、本研究は4月22日号のハイライトに選定されました。冒頭に、エディターによる概要が掲載されます。

1.背景

原子核を構成する陽子や中性子を総称してバリオン1とよびます。1964年、マレー・ゲルマン博士(1969年ノーベル物理学賞受賞)は、このバリオンが3つのクォーク2で構成されるとするクォーク模型を提唱しました。

さらに、小林 誠博士、益川敏英博士(2008年ノーベル物理学賞受賞)は、クォークが全部で6種類あることを予言しました。質量の軽い順に、アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、ボトム、トップとよびます。また、クォークを支配する理論は量子色力学3であることもわかりました。しかし、量子色力学は、クォーク間の相互作用を媒介するグルーオン4が互いに複雑な相互作用をするために、解くことが極めて難しく、バリオンの性質を理論的に導くことができませんでした。

そこで、量子色力学の重要な特徴を備えつつも扱いやすい理論を作り、バリオンなどの性質を調べる研究が盛んに行われました。これを有効模型といいます。1977年、ロバート・ヤッフェ博士は、バッグ模型とよばれる有効模型を用いて、6つのクォークがコンパクトにまとまった粒子が存在する可能性に気づきました(図1)。この粒子は2つのストレンジクォーク2を含みます。これは、バリオンの一種であるラムダ粒子2が2つあるのと同じ構成です。そのため、バリオン2つぶんという意味でH–ダイバリオンとよばれています。

H–ダイバリオンの存在には、クォークの持つ軌道、スピン、フレーバー2、カラーの自由度とフェルミ統計性5が本質的に重要です。他の有効模型を用いた研究からもその存在は示唆されています。H–ダイバリオンは、バリオンにもメソン6にも分類されない“エキゾチックな”ハドロン6で、存在が確定した場合の物理学へのインパクトは非常に大きなものです。そのため、粒子加速器を用いた探査実験が数多く行われましたが、残念ながら現在まで発見されていません。また、H–ダイバリオンが、有効模型から予想されるにすぎない粒子であるとして、その存在に否定的な研究者も少なくありませんでした。
h-dibaryon1

図1 バリオン、メソン、H-ダイバリオンの模式図。u:アップクォーク、d:ダウンクォーク、s:ストレンジクォーク。バー(-)は反クォークを、矢印(↑)はスピンを表している。

2.研究方法1:格子ゲージ理論と高性能スーパーコンピュータ

量子色力学の複雑な計算を可能にする方法として、ケン・ウィルソン博士(1982年ノーベル物理学賞受賞)により提唱されたのが、格子ゲージ理論7です。これは量子色力学を連続的な4次元時空間ではなく、離散的な4次元格子空間上に構築するもので、スーパーコンピュータを使った大規模数値シミュレーションに適しています。近年、陽子や中性子の質量の精密計算が、この手法で可能になりました。日本はアメリカやヨーロッパにならび、格子ゲージ理論研究を世界的にリードしています。特に筑波大学計算科学研究センターは、多くの世界的な研究成果をあげています。

今回、日本大学、筑波大学をはじめとする研究チームは、この格子ゲージ理論をバリオン2個、すなわちクォーク6個の系に適用し、8種類のバリオンの組み合わせやスピンによる相互作用の違いを調べ、同時にH–ダイバリオンの存在を探りました。数値シミュレーションの第一段階に必要な数値データについてはPACS-CS Collaboration*8の協力を得ると同時に、高性能スーパーコンピュータT2K-Tsukuba*9を用いることで、膨大な計算を実行しました。

3.研究方法2:従来にない独自の手法

従来は、格子ゲージ理論を用いたとしても、H–ダイバリオンの存在を判定することは困難でした。それは次の理由によります。
(a) クォーク6 個の伝播を計算すると、数値データがノイズで占められてしまう。
(b) クォーク6 個を格子空間に収めるために、極めて大きな空間体積が必要となる。
(c) 空間体積を大きくするとエネルギー固有状態10の分離が難しくなる。

この中で、(a)と(b)は計算時間の問題ですが、(c)は原理的な困難です。なぜなら、従来の方法では、さまざまな物理量はエネルギー固有状態を通して導かれていたからです。それに対し、我々は数値シミュレーションからバリオン同士にはたらく相互作用ポテンシャルを導き、そのポテンシャルを用いて物理量を計算するという独自の手法を用いました。この手法では空間体積を必要最小限に抑えることができ、かつ、エネルギー固有状態を分離する必要がないため、(b)と同時に原理的な困難(c)を解決することができました。

これに加えて、フレーバーSU(3)極限とよばれる理想的世界を調べたことも、H–ダイバリオンの存在を判定するのに役立ちました。SU(3)極限は、3種類のクォーク(アップ、ダウン、ストレンジ)の質量を共通に設定することで実現できます。現実世界からそれほどかけ離れてはいないこの極限では、H–ダイバリオンが現れるチャンネル11(フレーバー1重項チャンネル)があらかじめわかっているので、計算時間が大幅に少なくて済むのです。

4.主な結果

図2は、格子ゲージ理論の大規模数値シミュレーションで得られた結果の一例です。赤い点は、フレーバー1重項チャンネルのポテンシャルをさまざまな距離に対してプロットしています。ポテンシャルは距離によらず右上がりになっていることがわかります。右上がりは引き合う力を意味するので、このポテンシャルは、「どんなに近づいても引き合う力がはたらく」ことを表しています。

距離によらず右上がりのポテンシャルは、バリオンの世界ではこのチャンネルだけに見られる特別な性質です。他のチャンネル、たとえば陽子と中性子では、ポテンシャルは図3のように至近距離では右下がりになります。これは近づき過ぎると斥け合う力がはたらくことを意味し、「斥力芯」とよばれています。フレーバー1重項チャンネルには斥力芯が存在せず、逆に「引力芯」が存在しているのです。この近づいても引き合う性質から、2つのバリオンが1つに融合している可能性が予想されます。

計算結果をさらに詳細に調べることで、フレーバー1重項チャンネルでは、クォーク6つがコンパクトにまとまった粒子「H-ダイバリオン」が存在していることが明らかになりました。図2の緑の線は、数値シミュレーションで得られたポテンシャルから求めた波動関数12とよばれる量です。波動関数はバリオンの存在確率に関係する指標なので、この結果は2つのバリオンが非常に狭い領域に集まって存在していることを示しています。
h-dibaryon2

図2 フレーバー1重項のポテンシャル(赤い点)とH–ダイバリオンの波動関数(緑の線)。格子ゲージ理論とスーパーコンピュータを用いて、世界で初めて明らかになった。

h-dibaryon3

図3 図2と同じ手法で得られた陽子と中性子の間のポテンシャル。これは実験的に確認されている核力のさまざまな性質と、定性的に良く一致している。

5.意義

今回明らかになった、フレーバー1重項チャンネルにおける斥力芯の消失とH–ダイバリオンの存在は、クォークの持つスピン、フレーバー、カラーの自由度とフェルミ統計性を合わせると定性的に理解できます。今回の成果は、物質世界におけるクォークの重要性を端的に表しています。つまり、クォークはハドロンの中に閉じ込められていて単独では存在できないにもかかわらず、物質世界のあり方に大きな影響を及ぼしていることが、今回の研究成果で明らかにされたわけです。

また、ストレンジクォークを複数含む系では、斥力芯の消失やH-ダイバリオンの出現など、通常では見られない現象が起きることがわかりました。これらの事実は、より多くのストレンジクォークを含む中性子星13の中心部などを理解する上で重要な鍵となります。

今回は計算量を抑えるためSU(3)極限という理想的世界を調べましたが、その結果から、現実世界でも比較的長い寿命を持ったH–ダイバリオンが存在する可能性が強く推察されます。これは、茨城県東海村で稼働を始めた大強度陽子加速器施設J-PARC*14を用いた、今後のH–ダイバリオン探査実験やストレンジネス15核物理の理論的支柱を与えることにもなります。今後、我々は京速コンピュータ「京」16を用いてこの研究を継続し、現実世界におけるH–ダイバリオンの質量や寿命について詳細な計算を行う予定です。

6.論文

米国物理学会『フィジカル・レビュー・レター』誌4月22日号:
Takashi Inoue, Noriyoshi Ishii, Sinya Aoki, Takumi Doi, Tetsuo Hatsuda, Yoichi Ikeda, Keiko Murano, Hidekatsu Nemura, Kenji Sasaki, “Bound H-dibaryon in Flavor SU(3) Limit of Lattice QCD” Physical Review Letters (2011)

参考文献

基礎物理学研究所と日本物理学会『プログレス・オブ・セオレティカル・フィジクス』誌:
Takashi Inoue, Noriyoshi Ishii, Sinya Aoki, Takumi Doi, Tetsuo Hatsuda, Yoichi Ikeda, Keiko Murano, Hidekatsu Nemura, Kenji Sasaki “Baryon-Baryon Interactions in the Flavor SU(3) Limit from Full QCD Simulations on the Lattice” , Progress of Theoretical Physics, Vol. 124, No. 4, October 2010, pp.591-603

7.用語解説

*1 バリオン:3つのクォークから構成される粒子。陽子、中性子のほか、ラムダ粒子、デルタ粒子などがあります。

*2 クォーク:物質を構成する基本要素。軌道とスピンに加え6種類のフレーバー(アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、ボトム、トップ)と3種類のカラー(赤、青、緑)を持ちます。陽子はアップクォーク2つとダウンクォーク1つ、中性子はアップクォーク1つとダウンクォーク2つ、ラムダ粒子はアップクォーク、ダウンクォーク、ストレンジクォーク1つずつからなります。

*3 量子色力学(Quantum Chromodynamics):クォークおよび、クォーク間の相互作用を媒介するグルーオンを支配する基本理論。ゲージ理論の一種。南部陽一郎博士(2008 年ノーベル物理学賞受賞)がその原型を提唱しました。グロス博士、ウィルチェック博士、ポリツァー博士らが量子色力学の重要な性質である漸近自由性(高エネルギーになるほど相互作用が弱くなる現象)を理論的に発見し、2004年ノーベル物理学賞を受賞しました。

*4 グルーオン:クォーク間の強い相互作用を媒介します。グルーオン同士にも相互作用がはたらきます。

*5 フェルミ統計性:量子力学における粒子の統計的性質。フェルミ・ディラック統計とボーズ・アインシュタイン統計があり、クォークは前者に従います。フェルミ・ディラック統計には「2つの粒子は同一の状態を占められない」などの特徴があります。

*6 ハドロン:強い相互作用をする粒子の総称。バリオンやメソン(クォーク1つと反クォーク1つからなる粒子)がこれに含まれます。

*7 格子ゲージ理論:量子色力学などのゲージ理論を、時空に超立方格子を導入して定式化する理論。モンテカルロ法などを使ったゲージ理論の大規模数値シミュレーションに適しています。

*8 PACS-CS collaboration:筑波大学のスーパーコンピュータPACS-CSを利用して格子ゲージ理論の研究をするグループ。

*9 T2K-Tsukuba:筑波大学・東京大学・京都大学の3大学間で結ばれたT2Kオープンスーパーコンピュータ提携に基づき、2008年6月、筑波大学に導入された大規模PCクラスタ。2011年現在、国内トップクラスの性能を持ちます。

*10 エネルギー固有状態:量子力学においてエネルギーが定まった状態。

*11 チャンネル:散乱する2粒子の状態を、粒子の種類、合計スピン、相対軌道角運動量などで分類したときの呼称。

*12 波動関数:量子力学において粒子の波動的状態を表すのに用いられる関数。その絶対値二乗が粒子の存在確率を表します。

*13 中性子星:半径が約10 km、重さは太陽質量の1~2倍の高密度天体で、中心部は主として中性子やハイペロンの液体になっています。大質量星が超新星爆発を起こした後に残ると考えられています。

*14 J-PARC:高エネルギー加速器研究機構と日本原子力開発研究機構が共同で茨城県那珂郡東海村に建設した、大強度陽子加速器を中心とする施設。2009 年から稼働を開始し、理工学のさまざまな研究に使用されています。

*15 ストレンジネス:ストレンジクォークが持つフレーバー量子数。ストレンジクォークを含むバリオンをハイペロンとよび、ハイペロンを含む原子核はハイパー核とよばれます。

*16 京速コンピュータ「京」:理化学研究所を中心に開発が進められている次世代スーパーコンピュータシステム。

問合せ先

担当者:
日本大学生物資源科学部助教 井上貴史(Takashi Inoue)
筑波大学計算科学研究センター教授 青木慎也(Sinya Aoki)
筑波大学計算科学研究センター准教授 石井理修(Noriyoshi Ishii)

報道担当:
日本大学生物資源科学部庶務課
電話 0466-84-3800 FAX 0466-84-3805
筑波大学計算科学研究センター広報室
電話 029-853-6487 FAX 029-853-6406 E-MAIL:yoshito [at] ccs.tsukuba.ac.jp