研究Topics

円周率探求は数世界に築くバベルの塔

高橋大介 教授

高性能計算システム研究部門

皆さんは、π=パイの日」をご存知でしょうか?

巷では、ホワイトデーとなっている「3月14日」です。この日は、なんとあのアインシュタイン博士の誕生日でもあります。そんな円周率の日に公開となる今回の記事は、π=3.14‥にまつわるお話がテーマです。

高橋大介教授は、高性能計算システム研究部門の研究者です。先生は、2009年に当時のスーパーコンピュータを用いて、円周率の小数点以下の桁数で世界記録を樹立されたスゴい方なんです。

先生が円周率に興味をもったのが、中学1年生のとき。当時、図書館で偶然出会った「πの話」(野崎昭弘著、岩波書店)という本が先生のπ探求への扉を開いたのです。図1

図1:高橋先生がπ探求のきっかけとなった「πの話」(野崎昭弘著、岩波書店)

(2022.03.14 公開  文責:高水裕一 ※2022.5.23 一部加筆修正を行いました)

 

素数239にπへと続く道がある

πは超越数」ということを聞いたことがあるでしょうか。これは代数方程式の解にならない数のことです。たとえば、√2は小数点以下が無限に続きますが、x^2-2=0という方程式の解になっているので、超越数ではありません。ネイピアの数 eも円周率と同じ超越数ですが、無限に続く桁を計算で算出する際、円周率はeよりもさらに奥が深く、別次元の難しさがあるのです。

もっとも簡単に円周率を求めるためには、Tan関数を用いることです。角度として45度、つまりπ/4を代入すると1になるので、これを逆に解いた逆関数であるArctan関数を用いて求まります。

具体的には、π=4 Arctan(1) と表されます。しかしこれを級数展開(注1 を用いて計算すると、実はうまく答えが収束しません。円周率のより高い桁数を求めるために、これは効率が悪いのです。そこで、もう少し効率のよい形として次のArctanを用いた「マチンの公式」が知られています。図2

図2:マチンの円周率を求める公式

ここで注目すべきは、5 と239という2つの素数(注2 です。

これらが分母にあることで、級数展開の収束が各段によくなります。この公式は、似たような別のバージョンがいくつかありますが、独立には4つしかないことが証明されています。239という素数も、加法定理といった規則に乗っ取った裏の深い意味があるのです。なんでもいい数にみえて、実は奥深い数たちなのです。239という素数は、無限に続くπという未踏の階段へ昇っていくための魔法の入り口のようなものなのです。

高橋先生が約2.6兆桁の世界記録樹立!

人類が、πを求める歴史は実に古く、何と紀元前2000年の旧約聖書、7章23節には、ソロモン王の装飾品として円周率の記述が登場します。そこには、周に渡した縄の長さは、直径に対しておよそ3倍とあります。つまりπ=3と書かれていたのです。円形は完全を象徴するもので、古代から人類の高い関心事だということです。

人類の科学の発展とともに、その桁数は、π=3.141592・・と飛躍的に伸びていきます。数学の発展も大事なのですが、それを実行するための計算機の進歩も同時に重要となります。スーパーコンピュータとよばれる大規模計算機が発展してきたことが、円周率を何兆桁以上も計算できるようになった大きな契機といえます。図3は、年代と桁数の伸びを図示したものです。そんな長い歴史の中には、円周率を求めるだけで一生を終えた学者も少なくありません。

 

図3:年代ごとの円周率の桁数の伸び

たとえば、ルドルフは正多角形を用いて、近似的に円周率を計算するやり方で、35桁まで求めました。結果だけ聞くと一瞬ですが、なんと一生涯を費やして、約461京角の多角形で計算したというのですから、気が遠くなります。これに近い37桁までの計算によって、宇宙全体を原子サイズの高精度で測ることに対応しています。つまりこの桁数まで得られれば、宇宙の大きさを半径とする仮想的な円周を、水素原子ほどの高精度で求めることに相当しているのです。一生涯をかけて宇宙全体を高精度で見渡したという壮大なスケールをきくと、なんともロマンを掻き立てられます。このような一生涯パターンの逸話は枚挙にいとまがないほど、円周率というのは学者の人生を狂わすほどの強い魅力があるのです。

まだ見ぬ未踏の頂きを求めて、古代人類が天空へと続くバベルの塔を建設したように、円周率探求は、まさに数世界の頂きを目指す、文明史そのものだといえます。

そんな数々の桁数探求の中、高橋先生は、2009年に円周率の世界記録を樹立します。その桁数はなんと、約2兆5769億というとんでもないもの。その輝かしい記録を出した業績について、すこし触れてみましょう。

使った公式は、「Gauss‐Legendreの公式と高速乗算法」というものです。Arctanの公式が抱える問題として、掛け算の計算部分に時間がかかりすぎるという大きな問題が知られていました。皆さんが普通に行う掛け算の方法、いわゆる「ひっ算」のような方法では、計算時間が桁数の上昇につれてあまりに長くかかってしまうのです。そこで掛け算の計算アルゴリズムとして、「高速乗算法」というのがカギになります。これにより、計算するべき乗算の回数が飛躍的に減少されます。ここに「高速フーリエ変換」という手法を加味すると、さらに高速化が進み、先生はこの手法で約2.6兆桁を約30時間で計算することに成功します。円周率を求める過程で得た、この高速フーリエ変換の手法は、他の計算科学で大いに役立ち、後年これが大きな副産物となります。

計算方法であるソフトだけでなく、計算するためのマシンの性能、つまりハード面も重要です。先生は2009年に、「T2K筑波」というスーパーコンピュータを用いて計算を実行しました。これは筑波大学、東京大学、京都大学が共同で開発・運用したマシンで、当時は世界第20位の計算機としてランクインし、2014年に運用が終了したものです。先生の業績で大事な点は、スパコンを並列処理として円周率を計算させたという点です。T2K筑波では640ノードを並列に用いて計算しました。この並列処理による円周率の計算として、1997年に先生は、「HITACHI SR2201」というマシンを用いて、前進となる研究を行っていました。このマシンは、筑波大学計算科学研究センターのPACSシリーズという歴代のスパコンに位置する「CP-PACS」というマシンの商用機だそうです。円周率の探求は、センターのスパコンの歴史とも大きく関係していたのです。当センターのスパコンの歴史はこちらに

 

超人的な2つのπ公式!

ここで現代の桁数最高記録をご紹介します。それは2021年の約62兆8318億というもので、スイスの研究チームが達成しました(2022年2月現在の最高桁数)。その少し前の2019年には筑波大学の卒業生(岩尾エマはるか さん)が達成した約31兆桁があります。先生は在学中、この方とも面識があったそうです。

しかしこれら近年の記録、実はこれまでのスゴさからすると、すこし方向が違うのです。2019年の記録は、Google社となっています。一見、大規模プロジェクトで大型の計算機を使って・・と想像してしまいますが、実はすでに発表されているプログラムが使われています。本来はこのプログラムを作成することが一番大変なことです。先生は、インタビューで「世界でも数人じゃないかな、それを書ける人は。」とカッコよく語っておりました。かくいう高橋先生もそのスゴイ一人なのですが、2019年の記録に使われたプログラムはYeeさんという方が作成した「Y-Cruncher(=Yeeが嚙み砕くの意味)」というプログラムでした。これをダウンロードして実行しているのですが、実はスパコンのような大規模マシンも用いていません。その分、日数をかけて計算したもので、2010年以降の円周率の記録は全て、このプログラムの恩恵だといえます。もちろん実行するのにも、いろいろな工夫は必要で、凄くないわけでは決してありません。2019年の記録では、Google Cloud Platform というクラウド上のコンピュータでプログラム(y-cruncher)を高速に動かすためのさまざまな工夫がなされています。

話は、このプログラムで用いられている公式のスゴさに移りましょう。

2つの超人的な円周率の公式をご紹介します。1つは、「ラマヌジャンの公式」、もう一つは、「チュドノフスキーの公式」というものです。ラマヌジャンという数学者、皆さんご存知でしょうか。神に祈って未知の数式を導いたり、自分で証明する術をもたない異色の数学者といった、まるで映画のような設定を地でいく数学界の魔法使いのような異次元の天才なのです。彼を描いた映画「奇蹟がくれた数式」をぜひご覧ください。

彼が1914年に導いた公式が図4上段にあります。こんな形、一体どうやって思いついたのか、当時の学者たち誰一人として理解できませんでした。後に、彼の死後この公式が正しいことが証明され、チュドノフスキーの公式は1989年にその異なるバージョンとして発表されます。

ラマヌジャンの公式では、約8桁ごとに正確な円周率が計算できるのに対して、チュドノフスキーの公式は約14桁ごとに正確な値が導けるので、現代ではこちらのほうが用いられており、Yeeのプログラムでも採用されています。彼らは兄弟で数学者であり、なんと円周率を求めるために自宅のアパートに手作りのスパコンを設置して、約80億桁まで求めたということです。こちらも負けず劣らず、すごい逸話の兄弟ですね。高橋先生は、このラマヌジャンの公式のスゴさを次のように語っていました。

図4:ラマヌジャンの公式を書く高橋先生

「この公式は、彼が地球にいなかったらきっと誰も導くことができなかった奇蹟の数式では」と。この公式から、後に数学世界では、「テータ関数」という概念が生まれます。楕円関数やモジュラー形式という数学とも関連するもので、πを求まる公式としてだけでなく、新しい数学の領域が開かれたのです。彼がいなくては誰も発見できなかった幻の扉だといえます。とくに先生が注目しているのが「素数1103」です。前に登場した239のように、これにも深い意味がある素数のようですが、常人の理解をはるかに超えています。πへと続くこの神秘的な扉の数、「239と1103」をどこか頭の片隅にいれてもらえれば、あなたも超越数πへ近づけるかもしれません。

誰でも横に線を引いて、数直線を描くことはできます。その3と4の数値の間には必ずπが存在しています。しかし存在はしていても、1点そこにたどり着くことができない摩訶不思議な数。なんともロマンに満ちた存在ではないでしょうか。

最後に先生は、「ぜひまた世界記録に挑みたい」と意気込みを熱く語っていました。既存のプログラムを用いるのではなく、スパコンを用いた並列処理による記録達成を目指す新しいプログラムを作成したいとか。現代の最高峰マシンである、「富岳」を用いても、前述のArctanの公式だけでは、約62兆桁までの計算で100年以上もかかってしまうのです。いかに効率のよい公式を用いるか、そしていかに効率よく分散させてスパコンに計算させられるかが、今後の飛躍にとって大きなカギとなるのです。

πは実は、超越数であるということ以外、その正体が未だにほとんど分かっていません。乱数性、つまり完全にランダムに数字が登場するのかどうかさえ、まだ証明なされていません。円周率の中には、8が13桁も続くようなものや、再び314159265358という円周率が小数点以下に登場するものもあります。πの中πは、まるでマトリョーシカのようです。まだまだ奥が深い数列や、魅惑的な数列がその中に登場してくるでしょう。それが円周率なのです。

円周率の桁数は文明進歩の尺度の一つであると言われています。旧約聖書以前から続くこの高いバベルの塔がいったいどこまで続くのか、今後の人類の発展とともに期待したいところですね。

用語

1)級数展開: ある関数を無限に続く級数で近似的に計算すること。テイラー展開ともいう。

2)素数:1とその数自身以外に約数がない正の整数のこと

 

さらに詳しく知りたい人へ

高橋先生HP

高橋大介,”円周率世界記録更新-2兆5769億8037万桁への道”,情報処理, Vol. 50, No. 12, pp. 1228-1234 (2009).