研究Topics

素粒子理論にテンソルネットワークで挑む

秋山進一郎 助教

秋山先生は素粒子の振る舞いを記述する枠組みの一つである格子上の場の理論の研究をされている先生です。

膨大な計算コストがかかる素粒子理論の計算に、テンソルネットワークという新しい手法を使って挑戦しようとしています。

(2024.1.25 公開)

立ちはだかる「符号問題」

この世界の最小構成単位だと考えられている素粒子は「素粒子標準模型」という理論によって素粒子同士の間でどのような力が働くか記述されています。この素粒子標準模型を用いればこの世界にある原子や分子の構造や、宇宙の成り立ちなどが理解できることになります。

素粒子標準模型は量子色力学(QCD)という理論を含んでいます。QCDはクォークとグルーオンと呼ばれる素粒子を記述する理論で、クォーク間で働く力はクォーク間の距離が長くなるほど強くなるという性質があります(高校で習う電磁気学では、電子間で働く力は電子間の距離が長くなるほど弱くなります)。このような性質がある理論は中々手で解くことができません。そこで、QCDによって記述される物理現象を調べるには、スーパーコンピュータを使った数値シミュレーションが非常に重要になってきます。特に、「格子QCD」と呼ばれる分野では、私たちの住む世界を一旦メッシュ状(格子)に区切って、その上でQCDに基づく計算を色々と行います(格子QCDだと摂動計算(注1)という近似をしなくて済むという利点があります)。

この格子QCDで従来使われてきた方法が「モンテカルロ法」です。モンテカルロ法は乱数を使った数値計算手法の総称であり、積分を数値的に計算する上で重宝される手法の一つです。格子QCDではクォークやそれらの間で働く力を伝えるグルーオンについての膨大な積分を解かないといけません。こうした積分をコンピュータで計算する場合、高校数学で習う区分求積法のような考え方を使ってしまうと、計算量が大きすぎてスーパーコンピュータをもってしても太刀打ちできません。一方、モンテカルロ法を使うと「積分結果への寄与が大きな積分領域になるべく注目する」ことで計算量を大幅に減らすことができます。具体的には、被積分関数を確率とみなし、その確率が高い点を重点的にサンプルすることで計算量を抑えます。

ところが、モンテカルロ法はいつでも使えるわけではありません。例えば、被積分関数が複素数になってしまう積分は扱えません。なぜなら、複素数の値は確率と見なすことができないからです。この問題はモンテカルロ法の「符号問題」と呼ばれ、素粒子理論の研究だけでなく、物理学の様々な分野でよく現れる問題です。どんなに興味深い物理現象があっても、符号問題が生じてしまうと、その現象を基礎理論の立場から解明することが極めて困難になってしまいます。素粒子の分野では、例えば中性子星(注2)の中の状態などを調べるために必要なQCDの計算でこの符号問題が現れます。そのため、QCDの立場から中性子星の内部状態を理解することは未だにできていません。

そこで、秋山先生が注目したのが「テンソルネットワーク法」です。

 

テンソルネットワーク法で4次元時空上での計算に初挑戦

テンソルネットワーク法では、計算したい対象を「テンソル」と呼ばれる行列を一般化したものを使って表現しなおします。例えば、先ほどの積分の場合だと、解きたい積分を多数のテンソルが組み合わさったもの(ネットワーク)に書き換えます。このように問題を書き換えることで、これまでの方法(例えばモンテカルロ法)とは全く違う切り口から問題にアプローチすることができるのです。

しかし、単に問題を書き換えただけでは元々の問題が持っていた難しさを必ずしも解決できるとは限りません。実際、テンソルネットワーク法は時空間次元が1次元や2次元の問題では広く使われていましたが、高次元への応用例は少なく、特に4次元(私たちの住む世界は時間1次元、空間3次元の4次元世界です)の問題への応用は前例がありませんでした。

そこで、秋山先生はスーパーコンピュータの利用を前提として4次元系向けのテンソルネットワーク法の数値計算コードを設計・実装し、世界で初めて4次元時空上の理論をテンソルネットワーク法で計算することに成功しました。また、秋山先生は一度テンソルネットワークで書き換えられた問題をさらに別のテンソルネットワークで表現することで、計算量をさらに抑える手法を開発しました(関連論文はこちら)。さらに、4次元系に対するテンソルネットワーク法のテクニックを応用して、QCDにも応用可能な新しいテンソルネットワーク手法の研究を進めています(図)。今後はGPU(注3)を用いたり、機械学習の手法も組み込んだりすることで、より計算の効率化を図り、素粒子物理学における様々な問題をテンソルネットワーク法で精密に計算できるようにしたいと考えています。

 

 

(文・広報サポーター 類家千怜)

用語

1)摂動計算:解きたい問題を、すでに解の存在する部分と残りの部分に分けて、残りの部分の影響が小さいと近似して問題を解くテクニックのこと。

2)中性子星:質量の大きな恒星の最終形態であり、密度は太陽の1014倍以上の天体。中性子が主な構成要素になっている。

3)GPU:Graphics Processing Unitの略。本来PCサーバにおけるグラフィックス処理を目的として作られた専用プロセッサだが、近年はその高い演算性能で高性能計算へ転用されている。

 

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